今日は、現役高校生の時からカウンセリングを不定期に継続している
女の子(“子”と言っても、もう20代ですが…)の久しぶりの面談でした。
ケータイのアドレスも交換しているので、何かあるごとに電話やメールを
くれていましたが、電話もメールも(私にとっては)深夜に来ることが多く
て、翌日メールで折り返し連絡することがほとんどでした。
それでも、数回、切羽詰った状況の電話を取って気持ちを落ち着かせたり
することもあったりして。
彼女は高校時代からそうだったけど、「自分は幸せになってはいけない」
っていう“人生脚本”を根強く抱えていました。
それは多分、今でもそう。
長い付き合いなので、彼女には指摘したことも何回かあります。
そして、その脚本から脱却しない限りは同じことを繰り返す、幸せではない
人生を送ることになることも、伝えました。
カウンセリングを重ねる中で、自分を認め、幸せになることを“許す”ため
の作業を続けてはきたけれど、途中で精神科に入院したり、不安定な状態
のまま結婚をしたり出産をしたり、と、とにかく自ら環境を複雑にしていく
彼女を見ていると、いたたまれず、分かってはいるけれど、仕方ないことでは
あるけれど、何もできない自分に情けなさを感じてしまいます。
今、彼女には3人の子どもがいます。
「子どもには自分と同じ思いはさせたくない」と、子どものことを一番に考えて
いる彼女。でも、彼との関係がとてもうまくいっていない。離婚もチラついて
いて、とても穏やかじゃない。
でも、彼女の人生脚本からすれば、“必然”と言えてしまうこの情況。
結婚前から何度も私は彼女にも伝えてきました。
「人生脚本の書き換えができていないのに、結婚は正直賛成できない」って。
彼女もその意味を承知で、それでも結婚し、出産しました。
今日のカウンセリングも、結論が出るわけでもなく、彼女の日常のつらさを
聴き受けとめ、“今、できること、すべきこと、したいこと”に目を向けて話を
しました。
3人の子どもたちは明るくて元気。そしてよく笑う可愛い子たち。
彼女が愛情を注いでいることが分かりました。
そして、彼女もやっぱり、母親になって、少し強くなりました。
守るべきものができたから。
ただ、その守るべきものに精一杯に気持ちを注ぐことで、自分自身を守ること
に意識が向かなくなってしまっている現実もあり…。
リスカや過呼吸発作も、出ているようでした。
幸せになってもらいたい。
彼女には、いつも、「幸せになっていいんだよ」と伝えてきました。
その度に、彼女は寂しそうに笑ってやんわりと拒否していたように思います。
彼女の生い立ちは壮絶。それを今思い返すと嗚咽が出てしまうほどつらく、
口に出して振り返ることもしんどいほど、彼女を縛り付けて苦しめています。
その縛り付ける歪んだものから解放させてあげたい、そのためのサポート
を全力でしてあげたい、と思っても、その観念は彼女をいとも簡単に引き
戻してしまう。
彼女の子どもたちを見守る眼は、とても優しくあたたかでした。
それが救い。
でも、彼女はいっぱいいっぱい。
こうして溢れそうになった、溜まった感情を吐き出しに来る彼女に、私は
やっぱり根気強く、「幸せになっていいんだよ。ならなきゃね。」と伝え続けて
いこうと決めています。
それが私にできることで、私がしたいこと。
いつか彼女が、「私も幸せになっていいんだ」と思ってくれることを、強く強く
心から願って…。